”北炭の夕張”を考えた一日。「夕張の産業遺産を歩いてみる会vol.4平和〜若菜〜鹿ノ谷編」


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当会は「三菱大夕張鉄道保存会」ですが、炭鉱のまちとして発展してきた夕張を支えた鉄道の遺産を守り活用することを通じて、次の世代に地域の記憶と誇りを引き継いでいく活動を行なっています。
その一つとして、2012年から「夕張の産業遺産を歩いてみる会」を開催。
「歩いてみるかい?」と言うくらいですから、単なるお勉強会ではなく、その日偶然に起こった出来事も含めて、参加者全員で思いを共有するというのが趣旨のイベントだと実行委員長は考えています。
(単にゆるい、もっと言えばだらしないだけですが…)

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参加者は11名。保存会の会員はそのうち5人で、去年も参加したからという方や、新聞を見て来たという方も。

今回は平和のはまなす会館を出発し、サイクリングロードになっている夕張鉄道の廃線跡を鹿ノ谷まで約4.5キロほどを歩きます。

ルート
(地理院地図より作成)

何の変哲もないと思っていたのですが、実は廃線跡の上を歩くのです。
当たり前だろ!と突っ込まれてしまいそうですが、例えば、

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若菜駅のホーム跡。
草に覆われていたため、思わず通過しそうになって恥ずかしい副実行委員長の今井氏。

夕鉄のマークが入った木柱。
こういうものは、実際の線路上を歩いてみないと、発見することができない遺構でした。

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若菜の駅前にある、木造三階建ての建物。
北炭平和炭鉱出身の方が、「うーん、おそば屋さんだったような気がする。」
うっすらと何かが書いているのですが…

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鹿ノ谷駅では、夕鉄の元機関士さんに書いてもらったメモをもとに、かつての構内の様子を想像してみたり、

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鹿ノ谷駅を出てすぐ、夕鉄の橋台跡と国鉄線が複線だったころの名残の橋台を見たり。
(手前の橋台は、レンガと札幌軟石を組み合わせて作られています。とても美しい造形です。)

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最後は夕鉄バス「鹿ノ谷1丁目」バス停からバスに乗車し、はまなす会館まで戻ってきました。

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お弁当を食べた後、参加者全員で感想を話しました。
この時間が「歩いてみる会」ならでは。
今回は、「おじいさんが夕張鉱業所長、お父さんが北炭本社勤務」、「北炭高等鉱業学校出身で平和鉱に係員として勤務」、「夕張鉱の鉱員として勤務」、「北炭電力所に勤務」と、北炭のさまざまな部門、職級を経験された方々が集まったため、それぞれの視点からみた夕張がくっきりと浮かび上がりました。

私は「経担」と呼ばれる幹部社員を経験された方には、北炭以外の会社も含めて数人お会いしたことがありますが、さすがに北炭の取締役クラスの方は、子孫の方であっても初めてです。
「母はよく祖父に連れられて鹿ノ谷倶楽部に行ったそうだ」などと聞くと、本当にそんな世界の中にいた人がいるんだなと思います。

一方で、まだ社会に出て数年の時点で、炭鉱事故により同級生や仲間を多く失うという経験をした方は言いました。
「仲間の分も生きなければならないと思っている。」
悲しみ、妬み、自責の念…さまざまな思いに左右されて歩んできた半生。
故郷を思う気持ちには複雑なものがあるのかもしれません。
また経営者側のご家族にとっても、苦い思い出があることでしょう。

ヒエラルキー社会だった夕張で、これほど多様なルーツを持つ人々が集まり、対等な立場で語り合うということもあまりない機会だったのではないでしょうか。
炭鉱を知らない世代にとっては、このまちの持つ深さが興味深く写ったようです。
次の世代へ引き継ぐ責任や、産業遺産の持つ価値を活かすためのアイディアも、多く発表されました。

 

早くも来年の歩いてみる会は、鹿ノ谷から北、北炭専用線部分まで含めてやるぞ!と副実行委員長が言いました。
ますますマイクロバスの運転からは遠ざかりそうですが、本人がそれでいいというのでいいのでしょう。
(※歩いてみる会は、伴走とショートカットを目的に、マイクロバスを走らせるということも売りの一つとして前回までやっていました。ひとえに副実行委員長がバスを運転したいからというだけだったような気もします)

みなさまのまたのご参加をお待ちしております。
お疲れ様でした。

夕張の産業遺産を歩いてみる会
実行委員長 佐藤ま@広報