だるまストーブのお話

ナハ5の車内のだるまストーブ(昭和36年4月13日撮影)
小樽市の星良助氏撮影 夕張市石炭博物館所蔵

 

 

 

 

 

 

三菱大夕張鉄道(後の三菱石炭鉱業)は9200形SLや、C56形のテンダを装備した社形9600形「No.3」「No.4」の活躍する路線として有名であったが、ここの何よりの名物は冬期間の客車暖房に活躍した石炭ストーブではないだろうか。

写真の「だるまストーブ」は現在、JR北海道の観光列車「釧路湿原号」や「流氷ノロッコ号」で復活し観光客の人気を得ているが、昭和20年代〜30年代の北海道の地方線区ではこの「だるまストーブ」を囲み乗客らが談笑する姿がよく見られたものでした。

 

ところで北海道では、駅の待合室や学校の教室に置かれた大型のストーブ(寸胴形。また、その直径が一尺五寸あることから尺五とも呼ぶ)も「だるまストーブ」と呼んだりするので必ずしもこれは、ひとつの形状のストーブを指して言う固有名詞ではないようです。

明治13(1880)年の札幌〜手宮間の幌内鉄道開通の時から客車暖房には石炭ストーブが活躍しましたが、明治33年頃からは寸胴形が普及してきました。「だるまストーブ」は大正期に北海道内地方線区で使用されていた丸形ストーブを大正11(1922)年に灰取り用の引き出しを大きくしたうえ、底を平らにして使用したもので、以来これは北海道内各線区に急速に普及しました。

 

 

(廃止直後のフジキ式)

これは外形が300mmの球形で下に火格子と灰取りの引き出し、正面に焚き口、背面に排煙口、上部は乗客が何も載せない(焼けない?)ように球状のままで、下に脚がありました。その形状から「たこストーブ」「地球形ストーブ」「ほおずきストーブ」とも呼ばれました。2軸客車には車内に1個、ボギー客車では車内前後に1個づつと、その部分の座席(4人分)を外し設置されました。石炭の補給は「十能」と「デレッキ」を持った車掌が行い乗客は直接、手を触れないようになっていました。

列車の客貨分離による客車のスチーム暖房の普及、旅客列車の気動車化等により旧国鉄の定期列車では昭和47(1972)年3月の石北線を最後に、また不定期列車では昭和49(1974)年3月の深名線の臨時混合列車を最後に姿を消しました。

三菱大夕張鉄道でも夕張岳の頂が白くなる11月には客車内に設置され、翌年の4月末頃まで乗客の間に談笑を広げ親しまれましたが昭和51(1976)年の春に「特許・フジキ式ストーブ」にとりかえられてしまいました。

「だるまストーブ」の燃料として最適な塊炭が、機械採炭のため確保出来なくなったのが原因ですが、それでも客車の屋根からT字形の煙突を出し走る「ストーブ列車」は石炭の街・夕張の象徴でもありました。「ウィキペディア記載許諾」

 

スハニ6の屋根にT字形の煙突が見えます

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